中区竹屋町で総合建設業を営む。70年の半生を振り返ると、日々の一つ一つを大切にできたように思う。海田高校で陸上のインターハイに出場し、広島工業大学建築工学科では北海道から沖縄まで自転車で日本縦断した。しまいにはバックパッカーで欧州一周。素晴らしい建物をたくさん目にした。同大で恩師の水田一征名誉教授に出会ったことが、かけがえのない財産。「二つ道があったら、つらい方を選べ」という言葉を頂き、今も選択を後押ししてくれている。建築事務所や建設会社に勤め、52歳で独立。駆け出し経営者で未熟だったが、さまざまな経験で培った人脈に助けられた。創業間もない資金不足の際、取引銀行に二つ返事で融資していただけたのも日頃の言動を見てくれたからかもしれない。当時は付き合いの飲み代にも苦労してね。「会社を起こしたばかりで大変じゃろう」と、ごちそうになった。顧客からは1000円でも黒字なら立派と励まされ、会社経営と雇用続けると決意。建物は生活を支える。世のため人のためと思ってやってきた。おかげさまで堅調に推移。さあ今度は自分の番と、2010年頃から理想の家コンペ、約5年前から子ども向け業界体験イベントを開催。建設業は出会う人の全てが顧客になり得る。一期一会の機微を日々感じている。困難な道を歩んで20年近く。会社は人を育てる場所。永続へ、次世代へのバトンタッチを考えている。

担当記者:吉田

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