若手が躍動するカープベンチの中で〝カープの象徴〟のような存在だった堂林翔太(選手会長)が一時、2軍に降格していた。開幕直後に新井貴浩監督の構想を覆したのは、4番候補だったレイノルズ、シャイナーの不調とけがだった。そのことについて私は、本稿2月8日号で「堂林の4番はあるのか?」という話を書いた。これが新井監督の思惑とズバリ一致していた。堂林は「監督から開幕前日に告げられた」と明かす。ただスレ違ったのは堂林を4番に据えた新井監督の強い思いと堂林の意識だった。「彼をカープの4番に育てたい」。そのため新井監督は度々、彼に助言した。その一つが「トップの位置が浅い」ということだった。弓矢で言うと、弓を十分に引いていないところから打ちにいくから打球が飛ばない、というのだ。そのため打率はまずまずでも試合を決めるような長打が少ない。そんな中、4月25日ヤクルト戦だった。6回2死一、二塁の場面で堂林が二塁ゴロを打った際、彼は自ら凡打(アウト)だと決めつけ一塁へ走る速度を緩めた。ところが一塁走者の野間峻祥の好走で二塁がセーフ。その後、送球が一塁に送られアウトとなる。堂林が全力疾走していたら、好機が広がるところだった。このシーンが新井監督の思いを崩した。27日に監督室に呼ばれた堂林は、監督から厳しい言葉を掛けられたという。あれから42日が経った6月9日。1軍に戻ってきた堂林は15日楽天戦にスタメン出場。6回に4月20日以来となる中前適時打を放った。再びファンの「がんばれ、堂林」の声が大きくなった。
プロフィル
迫 勝則(さこ かつのり) 1946年生まれ。マツダ退社後に広島国際学院大学部長などを務め、執筆・講演活動を続ける。近著は「森下に惚れる」「逆境の美学」