日本の製造業が岐路に立たされている。中国などの台頭を受け、お家芸といわれた液晶ディスプレーや半導体、家電などの世界シェアが低下。政府は半導体分野に狙いを定め、国内生産の強化に巨額の補助を決めた。
広島の基幹産業「自動車業界」も世界的な環境規制の加速や電動化の荒波に巻き込まれる。全ての分野で人手不足を解消する省力化・自動化やDXへの対応を迫られており、メーカーだけでなく、部品などを供給する中小企業の変革が欠かせない。これまで日本のものづくりは基幹技術を磨き、時代に合わせて世界に名だたる製品を生み出してきた。いま再び、職人魂が問われている。
ロータリーエンジン(RE)を電動化に応用したマツダ、手焼きの卵焼きを工業化し国内トップクラスに成長したあじかん、ゴム草履作りからバレーボール製造で世界一となったミカサの3社の事例から読み解く。
1991年にル・マン24時間レースで日本車として初優勝した「787B」は昨年、日本自動車殿堂「歴史遺産車」に選定。RE搭載車では67年発売の「コスモスポーツ」に続く。今年2月1日、36人の技術者が集まり「RE開発グループ」を復活させた。発電用などで一層改良するほか、環境規制が強まる中でカーボンニュートラル(CN)燃料対応など研究開発を進める方針だ。 1974年の本誌インタビューで当時の松田耕平社長は排出ガス規制の強化に触れ、「まず、いかにして現在の燃料でエネルギー効率を高めるか。長期的に見るとREの燃料はガソリンからアルコール系へ、そして水素へと進みそうだ」と話した。50年たった現在、同社は水素燃料のRE搭載車を世界で初めて実用化(2006年にリース販売)。CN燃料を使うロードスター(2・0L直列4気筒自然吸気エンジン)をスーパー耐久レースで走らせている。ものづくり企業にとって基幹技術を磨くことは無論、その時代に求められる形を模索し続ける姿勢が必要なのだろう。

業務用卵焼きでトップクラスのシェアを誇り、カニカマやかんぴょうといった巻きずし具材、きんぴらゴボウなどの業務用食品を幅広く展開。味の道を追求する(味観)という意味を込めた社名の通り、おいしさを追い求める姿勢が事業の根幹にある。足利恵一氏の父の政春氏(故)が出身地・京都の卵焼きの老舗「吉田喜」ででっちとして修行を積んだ後、のれん分けを許され、1962年に南区西蟹屋で創業。広島にゆかりのなかった政春氏は一軒一軒すし屋を回って困りごとを聞き、さまざまな商品をラインアップに加えることで事業を拡大していった。ープロに認められるまで修業先の関西と広島には微妙な味の違いもあり、最初はなかなか相手にされなかったという。政春氏は試作品を持って行っては感想を聞き、同時に各店で作り方を観察して、味付けや焼き加減を変えて改良を繰り返した。「プロの要求は高く、サンプルを突き返されるのはざらだったが、応えようと努力を重ねたことで、どこに出しても満足してもらえる商品が作れた」(同社周年史から抜粋)ー現場に答えがある厚焼き玉子だけではなく「だし巻玉子」の製造販売にも挑戦。本場京都で学んだ職人と共に仕上げた「京だし巻」は瞬く間に大人気商品になった。次第に取引先が増えると、50度にもなる製造現場の負担を減らしたいと、業界に先駆けて機械化を決意。ヒントとなったのは幼少時に見た洋菓子「ロンドン焼」の製造風景だった。生地とクリームを流し込んで自動で焼き上げる様を思い出し、菓子の機械メーカーに声をかけて開発に取りかかった。メーカーの担当者が工場に泊まり込み、69年にできた1号機は自動化できたものの食感が固く失敗に終わった。鰹だしで溶いた卵を何度も注ぎ足し、少しずつ巻き上げることで生まれるふんわりとした感触が出せなかったのだ。その後、職人が卵をかき混ぜる箸の角度、鍋の動き、卵の様子などの観察を重ね、かき混ぜながら焼いた卵焼きを数枚重ねる方法を思いつく。翌年にだし巻き機を完成させ、量産化に成功した。「職人が長い時間をかけて身に付けた技術を機械で再現するのだから簡単にはいかないが、必ず現場にヒントがあると教訓を得た」(同)幾度の困難にも決して諦めない。生来のたくましさは無論、味の道の固い信念があったのだろう。以降も手焼き風の卵焼きが1時間に約1400本製造できる「プレート式連続玉子焼焼成装置」や、従来の重ね焼きの約2倍の生産能力を誇る「ドラム式連続玉子焼焼成装置」などを相次ぎ導入し品質を向上。顧客の要望に合わせて、薄い層を重ねたミルフィーユ状の卵焼きやそぼろなどラインアップを拡充し、卵製品だけで約450種を展開する。その度に部品を組み替えて新しく機械を作り、数多くの特許を取得している。

ー経験知のデータ化に挑戦98年に静岡工場、2017年につくば工場などを竣工し、現在の生産能力は3万3000㌧に上る。一方、卵は季節やわずかな火加減の違いで仕上がりが大きく変わる繊細な食材だ。大半の工程に人が関わり、品質の維持・安定化には経験知が欠かせない。恵一氏は、技術の伝承に知恵を絞る。「特に火加減の調整などは担当者の経験と勘に頼るところが大きく、技術の平準化が課題だ。数年前から、カメラで人の動きを検知し、気温など外部環境と合わせてAIで分析する取り組みを進めている」ーヘルスフードに参入新たな柱の確立を目指し、10年にゴボウ茶などのヘルスフード事業に参入。一般消費者に向けたBtoC分野に乗り出した。「健康に良いゴボウを手軽に摂取してもらいたいと試作に取りかかったが、土臭くてとても飲めるものではなく、いっときは中止を勧めたほど。しかし開発担当者は諦めなかった」コーヒーの焙煎方法から学ぶことで特有のアクやえぐみを抑え、おいしくする製法を開発した。ゴボウ茶は昨夏までにシリーズ累計販売1500万袋を突破。ゴボウの知識習得・蓄積へ、自社農場も運営する。ー喜ぶ顔を思い浮かべて子どもの頃、自宅1階の工場で創業者の背中を見てきた恵一氏は、「父は夜中3~4時まで卵焼きを焼き、朝7時から配達に行くという毎日を送っていた。相当に大変だったと思うが、『おいしいものを食べて喜んでもらいたい』という思いが原動力だった。会社の規模が拡大するとどうしても利益に目が行きがちだが、もうけを優先して味や品質を妥協すれば、いずれお客さまは離れていってしまう。どうすれば本物の味を提供しお客さまも当社も両社が共に喜び続けられるか、とことんまで考え抜きたい」