聖路加国際病院の循環器内科医師だった日野原重明さんの提唱により、2000年9月に「新老人の会」が発足。17年7月に105歳の天寿を全うされた後も、全国21カ所で活動が継承されている。脳神経疾患が専門の医療法人翠清会(中区)会長で梶川病院名誉院長の梶川博さん(86)は、かつて同会中国支部の運営に携わり、いまは本部東京の会員として今年1月発行された会報誌に日野原先生との出会いや、心に残る思い出などを寄稿している。梶川さんは修道中・高等学校を経て、1963年に京都大学医学部を卒業。当時、卒後インターン制度があり、聖路加国際病院で1年間研修を受けた折、循環器内科で日野原先生の薫陶を受けたことに始まり、01年12月には広島で先生と会食の機会に恵まれたことや、新老人の会の話題などに触れており興味深い。なぜ、新老人と呼ぶのか。世界のどこよりも早く超高齢化社会に突入した日本人の75歳以上は国民の寿命が延びたことで生まれた新しい階層とし新老人と名付けた。会の理念は「愛し愛されること、何か新しいことを創(はじ)めること、苦難に耐えること」の三つ。いままでやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。これが若さを保つ一番の秘訣という。どれもこれもシンプルだが、いざ、やるとなるとそう簡単ではなさそうだ。日野原さんは90歳になったとき、何か新しいことを創めたいと思い立ち、新老人の会を創設した。シニア会員になれるのは75歳以上。60〜74歳はジュニア会員、60歳以下をサポート会員とし、女性のジュニア会員がそう呼ばれて大いに喜んだという。老人という文言には、人生経験を重ねた思慮深いという畏敬の念が入っている。ところが政府は75歳以上の人を後期高齢者と呼ぶ。あれはダメです。高齢者を前期と後期に分けて線引きする役人の発想です。そう呼ばれた人がどう感じるのか、人の気持ちを考えていない。これは日野原さんの指摘だが、共感し、後期とは何事かと憤慨されている方も多いのではなかろうか。昨年12月に翠清会と梶川病院「開院45周年記念誌」が刊行された。A4判・505㌻の大作である。梶川さんの歩みや著書、論文、翠清会の沿革と関連施設なども収録。日本医師会最高優功賞を受けた時の晴れやかな祝宴会を収めた写真もある。座右の銘はこれまでに多数あったが、好きな言葉として「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ(山本五十六)」「私は教師ではなく、道を尋ねられた同伴者にすぎない(バーナード・ショー)」「勉強、勉強、勉強のみが奇跡を生む(武者小路実篤)」などを上げる。最近では「人はその日の朝よりも夜のほうがより偉くなっている」「私は昨日よりコツや欠点がわかって上手になった」の言葉を人に奨めているという。ゴルフは昨年7月に市内ゴルフ場で82のスコアをたたき出す快挙を成し遂げた。コツコツと有言実行されているのだろう。少し気が楽になるメッセージもある。物忘れ(認知症)を何とかして改善したいと思うのが人情だが、そのネガティブの面を強調するのではなく、長生きの同伴者、長生きのご褒美と考えてみてはと助言する。いまを楽しく、上手に暮らす。そうそうは、かなわない境地に思える。
担当記者:藤井