司馬遼太郎「街道をゆく」第21巻にある。広島駅を起点に国道54号を北上し、三次へ至る「安芸の道」は県民になじみ深く、興味をそそられるエピソードも多い。旅の時期は1979年6月4〜7日。安芸高田市八千代町の上根峠辺りで日本海に流れ込む江の川水系と瀬戸内海へ向かう太田川の分水嶺に気がつく。古代の広島は瀬戸内海より日本海文化圏に入っていたのではないかと考える。吉田では戦国大名の毛利元就ゆかりの郡山城趾や猿掛城趾を訪れる。元就の「領民撫育」と「一致団結」の方針が後に幕末、長州藩が身分を超えて団結する気風につながったと指摘。岩脇古墳の丘の上から三次盆地を見下ろしながら思いははるか古代へ。三次に点在する古墳群は古代朝鮮から渡来し、出雲に定着したタタラ衆の墓ではないかと想像を巡らす。その探究心はさすがというほかない。

古道120選

(公社)日本山岳会が今年で創立120周年を迎える。全国の山岳古道の中から選び、いよいよ「日本の山岳古道120選」をサイト、書籍で公表する運びという。全国33支部を総動員し5年がかり。古い文献や古地図を頼りに調査を重ねた。日本の原風景を回復させ、列島の魅力再発見につながる効果は大きい。中国地区は智頭街道(志戸坂峠・鎌坂峠)、伯耆大山、石見銀山の道、石見街道(石浦峠・三坂峠・中山峠)、中郡古道、津和野街道、萩往還の七つをエントリー。広島支部の近藤道明副支部長は、「多くの古道は自動車道となり、今はやぶの中へ埋没してしまったところもある。かつて物流の起点となった峠も数多く、海産物と農産物を持ち寄って峠の市で物々交換するなど、にぎわったようです。悲恋の物語も伝わっている」山岳古道は、はるか歴史をたどる道になったと話す。

歴史の散歩道

JR広島駅北の二葉の里地区(東区)には戦前、花見でにぎわう桜の並木があった。2007年設立のNPO法人「二葉の里に桜並木を復活させる会」は22年夏、15年にわたる活動に幕を閉じた。市の玄関口である新幹線口から二葉山の麓にかけて桜並木を見事に完成させた。今年1月1日発行「二葉の里歴史の散歩道〜桜並木ものがたり」を編集した田辺良平さん(90)はあとがき(抜粋)で、「今やらなければ、いつできる。おれがやらねば、だれがやる。彫刻家の平櫛田中さん百歳の時の言葉です。会を立ち上げる際にも、この言葉を肝に銘じて実行に移してきたのです。おれがやるにしても誰がやるにしても、何事も一人でできるものではなく、事業に共鳴してくださる方がいて物事は成就します。江戸時代初期のように藩主の一声で野っ原の中に自由自在に並木をつくるのとは違って、昨今はビルの谷間に地権者の協力を仰ぎ、縦横に走る道路の邪魔にならないようにとの並木づくりですから、江戸時代の並木には及ばないかもしれませんが、かつての歴史を蘇らせるほどの並木はできたのではないかと思われます」広島銀行時代に「創業百年史」編さん作業に携わった。それが経済界で話題になり、あちこちから声がかかって何と20社・団体を合計して3千年に及ぶ年史を手掛けたという。いまなお郷土史家の情熱は健在である。今春はどんな花を咲かせるだろうか。

担当記者:本山

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