「戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます」
高市早苗首相の国会答弁で大騒動になった。中国は再開していた日本産水産物の輸入停止といったさまざまなカードを切り、日本に揺さぶりをかける。レーザー照射などはもってのほか。防衛論議しきりだが、依然として高市政権の支持率は高い。過去最大規模の2026年度予算案を決定し、積極財政へ踏み出す。新年を迎え、高市さんはどんな計を立てただろうか。
日本の企業風土のせいか、創業100年以上の企業数は3万7000社を超え、世界で断トツという。日本式経営の良いところを再確認し、ひるむことなく革新に挑んだ老舗の歩みに経営のヒントが隠されていないだろうか。
清酒「千福」醸造元の三宅本店(呉市)は今年、創業170周年を迎えた。1856年の創業当初、みりんや焼酎の製造を手掛けていた。呉市制が施行された1902年に日本酒の製造を始める。翌年に旧帝国海軍工廠ができることを見越した決断だった。16年には赤道直下などに半年以上遠洋航海して酒の劣化耐性を調べる試験に合格。母国を離れても、うまい酒が飲めると全国の鎮守府で採用された。33年に満州で始めた酒造りの伸長もあり、41年には醸造量日本一へ登り詰めた。
しかし45年に蔵を含む全建物を空襲で焼失。ゼロから再スタートを切った。大陸を引き上げた従業員も抱え、一時は国鉄の枕木や漬物などを作って食いつないだという。
その後は戦後復興や高度経済成長期の波に乗り景況を回復。ところが2001年の芸予地震で五つあった蔵のうち三つを被災し、大きなピンチに立たされた。三宅清嗣社長(66)は、
「3度目の創業という覚悟だった。酒も衛生管理が重要になると踏み、知人が神戸で営むケーキ工場を参考に衛生管理を徹底した蔵を再建。設備配置や動線を見直し一般客も見学できる設計とした。過去ではなく、将来に備えた経営判断にためらいはなかった」
その後、リーマンショックや東日本大震災といった外部要因も重なり、酒類市場は一段と厳しくなった。
17年に大手酒類メーカーで経験を積んだ当時28歳の長男、清史さん(現・取締役統括本部長)が入社。現・瀬戸内ブランドコーポレーション社長の田部井智行さんを三宅本店の社外取締役に起用し、内々で清史さんの育成を頼んだ。確かな後ろ盾もあっただろうが、入社間もなく次々と改革を断行。新たに立ち上げた「ワクワク企画室」で若手のアイデアを採用し、真新しいコンセプトを打ち出した。コラボ商品企画、銀座での飲食店経営といった大胆な取り組みをリードした。
事業の棚卸しも行った。不採算商品や取引を整理し、主力商品に経営資源を集約。一方で、既存の焼酎用設備と日本酒造りで培った発酵技術を生かせる蒸留酒事業に狙いを定めた。1年以上を費やし開発したジンやウイスキーはじわじわと売り上げを伸長。25年3月期は6年ぶりに売上高10億円台へ回復した。
「事業は伝統と革新の両輪で成り立つ。片輪ではその場を回るだけだが、両輪をバランス良く回すと前へ進む。ご愛顧を頂いた味を守るため、新たな事業基盤とファンづくりにまい進していく」
200年を視座に置く。
伝統と革新
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