迫 勝則のカープの独り言 / No.924
〝炎のストッパー〟津田恒美が32歳の若さでこの世を去ったのは1993年7月20日だった。没後32年。2025年同日には33回忌が執り行われた。私は先月上梓した『カープ不朽のエース物語』の第2章で、彼の壮絶なドラマを描いた。ただ、その頃に無二の親友だった同期の森脇浩司(社会人硬式野球の福岡トヨタFTサンダースGM)との心温まる友情物語を紹介することができなかった。
森脇は津田と同じ1960年生まれ。しかも森脇は8月6日(原爆の日)生まれだった。共にカープに在籍していた現役時代、84年には津田が中指血行障害、森脇が腰痛のため2軍で互いに励まし合っていた。その頃、独身だった2人で交わした固い約束があった。「還暦(60歳)を迎えたら、どんな状況になっていても一緒に旅行に行こう。そして昔のことを笑って語ろう」。
時が流れて92年のこと。津田は済生会福岡総合病院で闘病中、森脇は福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークスの選手だった。森脇は連日のように病院を訪れた。同年クリスマス前、津田に一時的な退院の許可が出た。森脇はそのとき2人で福岡市内の住宅物件を探し回ったことが夢のような時間だったと語る。その後、再入院となった津田は、250日後にこの世を去った。
今なお語り継がれるカープの「背番号14の物語」。私たちはマウンドから跳び跳ねるようにして投げたあの魂の投球を決して忘れていない。高校3年生の時に自身の性格に立ち向かうため、自らボールに記した「弱気は最大の敵」は、今でもカープ投手の指標であり続けている。
PROFILE
迫 勝則(さこ かつのり) 1946年生まれ。マツダ退社後に広島国際学院大学部長などを務め、執筆・講演活動を続ける。近著は「森下に惚れる」「逆境の美学」