理屈に溺れることがない。街づくりの構想をどう描くのか、夢と五感を大事にしてきたという。
2021年に広島市役所を退職した日高洋さん(63)は在職中に日本初の本格的なボールパーク、マツダスタジアムの企画・建設に携わり、都市機能調整部長などを経て、18年に建築の技術職では初めて経済観光局長に就任。関心が湧くと、とことん極めようとする性分のせいか、市職員として異色の経歴を持つ。
九州大学工学部建築学科を卒業後、清水建設に勤務したが、建物を造るよりも街づくりの仕事に携わりたいという思いが募り、1987年に市役所に入る。新球場建設部専門員、オリンピック招致検討第二担当課長、経済企画課菓子博覧会支援担当課長などを歴任し、経済観光局長を最後に退職。父親が倒れたのを機に島根県邑南町で代々続く実家の農業を守るため、定年まで1年を残し、決断。いまも7000平方㍍の水田でコシヒカリを生産する。
しかし農閑期を見越したのか、あちこちから誘いの声がかかる。市中心部の相生通りを中心とした紙屋町と八丁堀の魅力向上に取り組む官民連携の(社)カミハチキテル代表理事のほか、広島ドラゴンフライズの新アリーナ準備室顧問、広島総合卸センターの街づくり担当顧問、広島イベント事業振興協会のアドバイザー、県立広島病院跡地活用に係る広島市南区医師会顧問など、肩書きは10を超す。
「広島は特に、街づくりとスポーツのつながりが極めて重要だ。プロ野球のカープ、Jリーグのサンフレッチェ、バスケットボールのドラフラの三つのプロスポーツチームがリーグ制覇を果たした全国唯一の都市。平和を感じながら喜怒哀楽があり、人が集まり感動があるスポーツの力はこれまでも、これからも広島のポテンシャルを引き出す有力な地域資源だと思う」
旧国鉄の貨物ヤード跡地の活用策の検討からマツダスタジアム完成まで、8年間携わった経験が大きい。2009年春に新球場は完成。それまでカープの観客動員数は100万人前後だったが15年から200万人の大台に乗せ、コロナで落ち込んだものの、23年から3年連続で200万人台に復活。停滞していた広島駅周辺の再開発事業や街づくり機運を促した。
新球場の構想が持ち上がった頃、カープ球団は米国へ何度も職員を派遣し、どんな球場にするべきか、検討を重ねた。それがボールパークだった。日高さんは頭で考えるよりも実際に見なければと自費で大リーグ球場を視察。驚きがいっぱいだった。コンコースから見渡すスタジアムの光景は開放的で華やか、ウキウキさせてくれた。
24年にBリーグ初優勝したドラフラは26年秋からBプレミアに参画。ホームの広島グリーンアリーナは5年間の暫定利用で、31年秋のシーズンまでに新アリーナの確保が急がれる。日高さんらは既に10万筆超の署名を集めるなど機運醸成に汗を流す。
3月12日、広島国際会議場で第3回シンポジウム「新アリーナが広島の未来を創造する」(広島イベント事業振興協会)を開く。コンサートや会議・イベントも開催でき、ドラフラが新たに参画した広島4大プロに相応しい多機能アリーナを描く。野球やサッカーのスタジアムがそうであったように市民・県民、ファン、経済界、行政といったオール広島で実現を目指す。
オール広島で新アリーナ
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