日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産への登録が決定し、東広島市からも歓喜の声が上がった。さっそく東広島市観光協会(杉本昇会長)は12月9日、登録記念の会を市役所内のレストランで開いた。高垣廣徳市長、広島国税局の郷敦局長、酒類総合研究所の福田央理事長をはじめ、市内9蔵の蔵元や関係者、一般参加者ら約80人が参加。市の条例によって日本酒で乾杯した。市内全10蔵の清酒と市産品の「こい地鶏」などをあてに、喜びを分かち合った。郷局長は、「ユネスコへの登録申請が行われた際、国税庁酒税課長として関与。申請時に提出した映像資料では広島杜氏組合長の石川達也氏、賀茂泉酒造の前垣壽宏社長、今田酒造本店の今田美穂社長らが出演し、思いを語ってくれた。東広島市の皆さまの貢献なくして登録はなかったと思う」高垣市長は、「西条の酒造施設群が2017年に日本産業遺産20選、今年2月には国の史跡へ登録されたことに続き、わが市に関わりの深い酒造りが国際的なクレジットをもらった。安芸津町出身の醸造家、三浦仙三郎が発展に貢献した吟醸酒の故郷として酒文化、おいしさを国内外に発信する使命がある。決意を新たにし、国際的な認知度向上とインバウンド誘致に全市を挙げて取り組んでいく」

冷え込む夜はこたつに入り、旬のカキ鍋を囲む光景が定番だが、近年は生食カキの人気も高まってきた。カキ養殖のファームスズキ(大崎上島町)は今6月期の生産高を前年比3倍の1億3〜5000万円に増やす計画だ。昨年から新型生育機器の導入を進めており、来春に本格稼働する。同社は2012年から塩田跡池の10㌶に海水を引き込み、広くて底の浅いカゴの中で密集させずにエサを行き渡らせながら養殖している。病気になりにくいほか、大きさや質が均等に高まり、生食がお勧めという。鈴木隆社長は、「国内ではイカダから管を垂れ下げる養殖方法が主流だが、海面から深くなるほどエサが減る。結果、殻付きで出荷できるものと、小さなむき身用に選別される。一方、本場フランスは当社と同じ方法が中心。生食用で単価が高く、日本と比べて生産者の所得が多い。水産業を志す若者が減る中、賃上げにつながるよう、生産方式から抜本的に見直す必要があるのではないか」鈴木社長は水産大学校を卒業後、海産品の卸会社に勤めた。海外視察で日本産のカキが全く流通していないことを知り、日本一の広島産を世界に広めたいと11年に創業。夢をかなえ現在は台湾、香港、シンガポール、タイに殻付き生カキを空輸するほか、急速冷凍した生食用を卸す。

新人採用が厳しくなり、採用しても数年で辞めてしまう。深刻な人手不足をどう解消するのか、頭を抱える企業は少なくない。大興グループで翻訳・通訳サービスのアビリティ・インタービジネス・ソリューションズ(中区)は、企業に在籍する外国人社員向けにオンラインを使って日本語研修を行う新たなサービスを本格化。岸本晃治常務は、「今まで日本人スタッフでこなしていた現場が人手不足の影響で、外国人社員にシフトする動きが顕著になってきた。日本語能力試験で高水準のN1やN2を取得するさまざまな国籍の外国人を受け入れる会社が増加傾向にあるが、日本人を相手にした話す力は個人差があり、仕事に必要なコミュニケーションがスムーズに運ばないケースも見受けられる。それぞれの現場で求められる会話のレベルや目的に応じ、マンツーマンで実効性の高い日本語研修を行う独自の体制を敷いた。現場の〝困り事〟解消を掲げる当グループの経営理念をしっかり実践していきたい」講師陣は日本語教師の資格取得を前提に20〜70代の30人をそろえる。多様な国に在住する登録講師も増やし、45カ国語以上の翻訳・通訳を手掛けるグループの力を活用する構えだ。

うどん・中華そばと和菓子の店を市内中心に展開する「ちから」は土産用に4カ月間のロングライフ中華そばを商品化し、12月9日から、南区のゆめタウン広島で先行販売を始めた。2年前から開発に着手。なま麺とスープの2人前セットで地元になじみの広島中華そば〝伝や味〟を再現し、賞味期限を確認できたため販売に踏み切った。小林正記社長は、「お客さまの声を受け、2022年から持ち帰り用を当日消費期限で取り扱っているものの、取引先から土産用を作ってほしいとの依頼が舞い込み、初めてロングライフに挑戦。味と安全性を保証できるまで試作を重ね、商品化にこぎ着けた。いずれは直営28店でも扱いたい」一方、うどんだしはモンドセレクション金賞を15年連続受賞。1935年創業から使い続ける兵庫の龍野しょう油が味の決め手という。だし職人5人衆が顧客の信頼と安定供給を支え、90周年を迎える来年も変わらぬ味を届ける。年越しそばに里帰りの土産もちからで決まり。

12月10日、世界へ核の惨禍を訴えてきた日本被団協にノーベル平和賞が贈られた。国際情勢が緊迫し、核の存在が不安を募らせる中、被爆地の市民にできることは何か、改めて問い掛けてきた。被爆2世で、マツダを退職後、大好きなカープを見続けてきた迫勝則さんの新刊「ヒロシマ人の生き方―言わんと意見」(南々社)が12月10日に発刊された。1946年7月生まれ、観音村(現・佐伯区千同地域)出身で両親が共に被爆者。幼少期のことやマツダ時代に訪れた海外での体験を振り返りながら、核禁止条例や抑止論の意義を問う。都市づくりや市中心部の再開発事業に加え、マツダをはじめとした自動車産業の成り立ちから発展、市民が支え続けた復興の象徴カープやサンフレッチェなどを題材に、独自の視点で平和都市ヒロシマの「価値」を伝える。「書き終えて広島は誇りに満ちた街だと改めて実感した。私が見聞きした全てを形に残そうとペンを走らせた」被爆80周年を迎え、語り部の高齢化も進む。焼け野原から立ち上がった人の思いを途絶えさせてはならない。

マツダ車のファン組織「ロードスタークラブオブジャパン」は12月8日、ひとり親家庭32組74人をマツダ本社に招き、ドライブイベントを行った。 ロードスター愛好家がサンタなどに扮し、25台の助手席に参加者を乗せた。担当の増原洋輔さんは、自動車のことを好きになってほしいと見守った。県ひとり親家庭等福祉連合会の浜中礼子副会長と市母子寡婦福祉連合会の藤原志保子会長らが協力。「親はみんな、子どもにいろいろな経験をさせてあげたいと思っている。思い出に残る1日となったようです」

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