広島城を築城した大大名、毛利家14代当主の輝元公の銅像の6分の1のミニチュアが完成した。「広島」という地名の由来と、現在のまちづくりの原点ともなった城。台座も含め約4㍍の高さとなる完成像は視認性の良い、現在の三の丸付近に設置する予定。輝元公没後400年を迎える来年、命日の4月27日(旧暦)に除幕式を執り行う運びだ。銅像建立プロジェクトは今年7月にスタート。県内中心に企業50社、個人200人からの寄付と、クラウドファンディングを合わせた2400万円を超える支援金が集まった。像の姿は、天正17年(1589年)、輝元公が広島湾沿いに新たに築城地を定めるべく二葉山、牛田の見立山、己斐の松山(旭山神社)に登り、見渡す遠浅の海に浮かぶ江波島、吉島、仁保島、比治島など島々の中で最も広い島を指し示した様子をイメージする。広島城天守閣の木造復元を実現する会の大橋啓一会長(ひろしま美術研究所校長)は、「広島の歴史に関心を持ち、郷土の誇りとしてほしい。県外への人口流出に少しでも歯止めをかけるフックともなるはず。山口には萩城跡に輝元公座像がある。再開発が進み、国内外から多くの観光客が訪れる広島中心部に、町の礎を築いた歴史上の人物の存在を発信する意義は大きいと思います」別名、鯉城とも呼ばれる。市内には鯉城を冠にした通りや施設、企業なども多い。われらがカープもこれに由来する。町の発展の根っこにある歴史に、日頃から目に触れることのできる銅像の役割は大きい。大橋会長は、輝元公に続く広島藩主の福島正則、浅野長晟の銅像建立にも思いをはせている。

担当記者:藤井

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