ヨーグルトの製造開発一筋から一転し、7月24日付で前社長から経営のバトンを受けた。1886年に創業。国内でも先駆的なヨーグルトメーカーとして歩んだ同社は多角経営などから負債を抱え、ファンドの支援後、2011年に伊藤園グループの傘下に入った。初の生え抜き社長として、拡大路線へかじを切った成長戦略と事業展望を中心に聞いた。

-社内では、今まで通りの呼び名で通されています。株主総会と取締役会を経て就任後も変わることなく、“久保さん”と名前で呼んでもらっている。役職によって壁をつくりたくない。社長室も気楽に出入りできるようにとドアを開け放し。伊藤園傘下になってから社内改革に着手し、財務体質を改善。プロパー社員のやる気と意欲を喚起する土壌を整えた。年功序列の慣習を改めて成果評価を導入。自らの可能性に希望と自信が持てる企業へと変革し始めている。経営が創業家からファンド下に移り、以降、私は6人目の社長。伊藤園グループになるまでファンドからトップを迎えていた。創業来、健康づくりを経営の根幹とする考え方がぶれたことはない。レジャー事業など多角化もその延長線上にあった。-ヨーグルトづくりにかける思いや商品戦略などを教えてください。時代に合わせて少しずつ変えているが、どこか懐かしい、素朴で記憶に残る味わいづくりは今も変わらない。いかに日本人の食べやすいヨーグルトにするのか。1917年に発売した「チチヤスヨーグルト」が原点。日本で初の市販ヨーグルトだった。開発に臨み、絹ごし豆腐のような口当たりと日本人の味覚にあったおいしさへの追求があったと聞いている。むろん「おいしい」設計が大前提。例えば、日焼け止めクリームを塗るとビタミンD不足が懸念される。近年はタンパク質の摂取が減っている。こうした健康への気遣いに応えられる機能性商品でも、おいしくなければ長続きしない。発売当時からつなぐ乳酸菌のチチヤスヨーグルトを基準に、出荷ベースで主力の「毎朝快調ヨーグルト」やスイーツヨーグルト「こくRich」などのラインアップはそのままに機能性や季節商品などを拡充する。ヨーグルト市場は各社ごとに商品の特長がある。当社は「懐かしい」味で勝負する。乳酸菌は摂取する人それぞれの体質に合う、合わないがある。自分に合った乳酸菌を探していただければ。-設備投資の計画がありますか。将来的に廿日市市の本社工場敷地内に新工場を構想しており、人手不足を見据えた製造工程を計画的に進めていく。既存工場を稼働させながら順次、力仕事などの機械化、省力化を図り、誰でも安定して量産できる仕組みを整えたい。生産現場は経験や勘がものを言う職人的な技術が息づく。是々非々を見極め、チチヤスヨーグルトの味が受け継がれる最善の自動化を図りたい。-賞味期限への対応は。フードロス削減を念頭に一部商品の賞味期限を来年1月から延長する。先行して2023年11月末から機能性タイプやこくRichを22日から31日に延ばしている。来年から市場投入される他社製品は42日間賞味としている。現在、本社工場と関東(協力工場)で生産しているが、物流問題もからむ。添加物の力に頼らず乳酸菌の選択技術により、全製品を対象に延長していく予定だ。-トップ人事は元気が決め手だったようですね。開発現場で乳酸菌の働きについてのめり込み、ヨーグルトの開発製造で懸命に取り組んできた。その熱意はファンド下で社内が沈滞化している時も変わらなかった。いわば楽天家の元気が評価されたのかもしれない。まさか自分が社長に就くとは思いもせず、大変驚いた。まずは従業員みんなの顔と名前を一致させるため7月末から従業員約200人(パート含む)と個別面談している。一人一人が自らやりたいことが言え、そして実行し、失敗を経験、次のステップへ進み成長する。今までできなかったことに〝挑戦〟する企業風土にしていきたい。

プロフィル

くぼ たかよし北海道の酪農学園大卒。1992年チチヤス乳業(現チチヤス)入社。取締役開発本部長、取締役マーケティング本部長などを歴任。70年2月18日生まれ、安佐北区出身。

担当記者:藤井

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