また一人の名投手が赤いユニホームを脱いだ。広陵高校時代から地元ファンに愛され、明治大学のエースとして2011年のドラフト1位でカープに入団した野村祐輔である。初年度に9勝を挙げセ・リーグ新人王。援護に恵まれず黒星が先行(11敗)したが、ルーキーで防御率1.98はすごかった。かつてカープには「針の穴を通すような制球力」を持つ北別府学がいた。野村は、まるで北別府の再来を思わせるようだった。中でも16勝3敗でほとんど負ける気配がしなかった16年の投球は、カープを25年ぶりのリーグ優勝に導いた。しかし〝カープのエース〟と呼ばれた時代は、あまり長く続かなかった。周囲に150㌔超えの剛速球を武器にする投手が増え、次第に芸術のような投球術の存在感が薄くなったからである。それでも私は年に何度か登板する彼のピッチングを心待ちにしていた。とことん打者を研究し、ストライクゾーンの四隅を使った見事な制球で打者を仕留めたからである。「これぞ、プロ」。楽しみは尽きなかった。20年オフに右鎖骨を手術。〝引退〟の二文字が頭の中にチラつき始めたのは、1勝も挙げられなかった21年からだったという。野村の引退試合となった10月5日ヤクルトとの今季最終戦。デビューから一度もリリーフ登板せず、211試合連続で先発した野村は、自身のプロ野球記録を更新した。最後の打者・村上宗隆を空振り三振に仕留め、「背番号19」は静かに13年間の現役生活を終えた。選手として一度も涙を見せなかった清々しさも印象に残る。ありがとう、ユースケ!
プロフィル
迫 勝則(さこ かつのり) 1946年生まれ。マツダ退社後に広島国際学院大学部長などを務め、執筆・講演活動を続ける。近著は「森下に惚れる」「逆境の美学」