全国に46拠点を構え、ミャンマーなど海外にも事業を展開する西日本有数の総合建設コンサルタント。7月26日付で社長に就いた。社会資本整備や防災、まちづくりなど多様な領域に携わるが、今後はインフラ設備の維持管理や、脱炭素社会の実現など新たな領域への対応が不可欠という。力を入れる事業や抱負を聞いた。
-注力する事業・分野は。総合建設コンサルタントであり、今後も全方位に対応していく。特に力を入れたいのが、橋や上下水道などのインフラ設備の維持管理だ。老朽化を背景に今後、一層重要になるだろう。まずはアセットマネジメントシステムの国際規格ISO55001の取得に向け準備を進めている。設計から調査、維持管理まで一貫して取り組めるのが強みで、それらを生かして増える需要の受け皿になりたい。GX(グリーン・トランスフォーメーション)も成長領域に据える。洋上風力をはじめ、港湾施設の脱炭素化を図る「カーボンニュートラルポート」、二酸化炭素排出に課金して削減を促す「カーボンプライシング」、「脱炭素地域づくり」の四つのプロジェクトに取り組む方針だ。洋上風力は私が主導して2022年、東京支社に「洋上風力プロジェクト室」を設け、既にいくつかの案件に携わる。現在は比較的浅い海域に杭で支える形式の建設が進む。この設計はあと5年くらいでピークを迎える。その後は水深のある沖に進み、浮体式が中心になる。この分野はこれから動き出す。海底や海洋の調査など早期の情報収集に努め、技術開発に先行して取り組む。GXの残りの3プロジェクトは事業化に向けて技術開発を進める。当社独自の評価技術を所有する分野もあり、今後の可能性を探っていく。またPPP・PFI(民間による公共施設の整備運営)業務の仕様書の作成など、自治体等の発注者側に立った業務も確実に増えると見込む。当社は測量、地盤調査、設計、維持管理など土木分野の豊富な人材とノウハウを持つ。ただしこの発注者側の支援は、経営や法律、総務などさらに広いノウハウが求められる。多様な人材が連携しながら難易度の高い業務をこなしたい。ここ数年は研修に力を入れ、役職、業務などに応じてさまざまな学びを提供していく。-どのような組織にしたいですか。直近は東京にいた期間が長く、ほかの取締役にも助けてもらいながら経営に向き合う。もともと一人でぐいぐいと進めるタイプではない。皆の意見を聞き、それを反映させる方が向いていると思う。一方、停滞は好まない。常に新しいことに取り組みたい。東京支社長時代はサテライトオフィスを設け、首都圏に子育てを手伝ってくれる親族などがいない社員のためにベビーシッター制度を試行するなどした。やった結果、だめなら引き下がればいい。その変化は常に求めたい。-ご経歴を教えてください。1989年の入社以来、地盤関連の技術者として歩んだ。全国の案件を担当したが、特に印象深いのは羽田空港の地盤改良工事と、東日本大震災直後の漁港施設の被災調査だ。阪神・淡路大震災以降、羽田空港は大地震が来たら地盤が液状化するとの懸念が指摘された。その対策として日中は滑走路を稼働させ、夜間に滑走路下の地盤を改良するという難易度の高い設計に携わった。世界で初めての取り組みで、さまざまな可能性を探りながら進めていった。東日本大震災では、被災した青森から茨城県までの漁港施設の調査に1年をかけた。造ったものがことごとく壊れて、見るに堪えない状況で、建設に携わる身として忘れられない経験になった。防災や減災の分野はその後も、構造物の耐震化や液状化調査などで長く携わった。-好きな言葉があれば。一つは粉骨砕身。羽田空港の仕事をしたとき、急な対応を求められた仕事も多く、あの時に身を粉にして働くことが染み付いた。もう一つは「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」。うまくいかないこともたくさんあるが、明るい未来を信じてしっかりと進んでいきたい。
プロフィル

ふじい てるひさ1964年7月25日生まれ、山口県光市出身。徳山工業高専、宮崎大学を卒業、山口大学大学院を修了し、1989年に入社。取締役・東京支社長、GX推進センター長などを経て、23年8月から常務・東京支社長を務めた。学生時代はワンダーフォーゲル部に所属。身体を動かすのが好きで、週末は毎週10㌔を走る。
担当記者:梶原